ペリーが浦賀に来航したころ、当地「亀崎」は酒造りが盛んで千石船に酒をのせて江戸に出荷していました。
そんな頃、四代目成田新左衛門は「中口屋」という屋号で宿屋を開業しました。
そして京都の書家「貫名海屋」先生ご宿泊の折に、「望洲楼」という名をいただいております。
明治19年3月の名古屋の「金城新報」に、福沢諭吉先生がお越しいただいた旨の記事があり、明治31年9月には田山花袋・柳田国男の両人が泊まられています。
その数日前、渥美半島の伊良湖で椰子の実が漂着したのをみつけ、その話を柳田国男が信州の島崎藤村に伝えたことから有名な「椰子の実」の歌が生まれました。
他にも、日本画家の竹内栖鳳、海軍元師西郷従道(西郷隆盛の弟)らもご宿泊されました。
明治20年2月、天皇皇后両陛下が近隣の武豊での陸海軍の演習に行幸された際にお食事を担当しました。 六代目成田新左衛門は、手押し車に料理をのせて武豊まで運んだと手記に残しています。
大正天皇即位の大嘗会が行われた悠紀殿の屏風には「亀崎の月」が画かれ「萬代も かはらぬかげを 亀崎の 波に浮かべて 月照りにけり」の歌が書かれました。
絵は、野口小蘋画伯。短歌は黒田清綱子爵。 野口画伯は当楼に逗留され「亀崎の月」を画いたのです。
以来「月の名所・亀崎」は全国に知られるものとなりました。
現在も、昔からの衣浦の海に臨む丘に点在する建物を維持しながら、ゆったりとした情緒あるひとときをお楽しみいただけるようつとめています。
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